ジャーナル
渋谷宮下町クロニクル
─ ストリートカルチャーが生まれる場所になるまで
「渋谷宮下町計画」。これが東京都の「都市再生ステップアッププロジェクト(渋谷地区)宮下町アパート跡地事業」として実施されたコンペティションで2012年3月に事業が決定した、SHIBUYA CAST.(渋谷キャスト)建設にともなうプロジェクト全体の名称です。 しかし現在、地図上に「渋谷区宮下町」は存在しません。1966年の住居表示実施に伴い神宮前6丁目と渋谷1丁目に分かれ、宮下公園にその名残を残すのみです。では、かつて宮下町と呼ばれた渋谷キャスト周辺エリアはどのような場所だったのでしょうか。渋谷と周辺エリアの関係、歴史もひもときながら、その変遷をたどります。
TEXT BY Atsumi NAKAZATO
すり鉢状の地形が生み出した歩きたくなる街・渋谷
渋谷の街は、渋谷駅周辺だけでなく、青山、原宿、代官山、恵比寿といった隣接エリアもそれぞれ独自の進化を遂げています。この広域エリアについて、端的に表現したのが、渋谷駅を中心としたひと駅圏を指す「広域渋谷圏」です。これは、2000年にシブヤ経済新聞を立ち上げた西樹さんが名付けたエリア名で、今では渋谷の個性を表す表現として広く浸透しています。渋谷の街の変遷をつぶさに見てきた西さんは、「広域渋谷圏という街のあり方は、全国的に見ても非常にレアなこと」と分析します。
「真ん中に渋谷という強力なセンターがいて、その周りに青山、原宿、代官山、恵比寿という個性的なスターがいる。センターとスターがゆるくつながって、トータルで渋谷の情報発信源になっています。この“チーム渋谷”という構造がすごいなと。輝いている度合いはそれぞれ違うんですが、全体として見るといつもどこかが元気で、世の中に対して情報がプッシュされています。こんな構造を持った街は、他に聞いたことがありません」
渋谷と各エリアの間には若い世代の個性的なお店が多く、街を楽しもうと、電車に乗らずに歩いて移動する人も少なくありません。こんなところも、広域渋谷圏の特徴です。
「これほど各エリアの間に路面店が多くて、“ひと駅間を歩いている街”も少ないんじゃないかと思います。街全体にすごく動きがあっておもしろいですよね」
なぜ渋谷はこんな街の構造になったのでしょうか。それには渋谷特有の地形が大きく影響しています。
「渋谷はすり鉢状の地形で、ところどころで道が三角になったり、分断したりしているので、大規模な再開発は難しかったのでしょう。平地がどーんと広がる銀座辺りとはわけが違います。これが渋谷の個性につながっているのだろうと思います」
台地と谷地からなる地形の特色をうまく生かした結果、歩くことが楽しい街になったのです。
ミックスカルチャーによって渋谷の個性が生まれた
明治期にJRや東急電鉄の駅が開業して以降、国内有数のターミナル駅として、またファッションや文化の情報発信地として、その地位を確立。そんな時代の先端を行く渋谷も、かつては陸軍の街として知られていました。1909(明治42)年、代々木に練兵場ができたことで、軍人の往来が増え、軍隊の存在は日常の風景として定着。多くの軍人が街道沿いの飲食店や花街を訪れたことは、渋谷の発展の一因ともなりました。戦後まもなく、アメリカ軍が代々木練兵場を接収し、将校やその家族のための宿舎を建設。これによって、アメリカ人向けの店が表参道沿いに立ち並び、異国の香り漂う街へと変化を遂げます。
そんな時代を経て、渋谷は海外からも熱い視線を集めるカルチャー都市として成長してきました。アパレル・ファッション産業やクリエイティブコンテンツ産業が集積していることも特徴の一つです。「渋谷には、独自の文化が次々と生み出される土壌があった」と西さんは言います。
「渋谷は音楽、映画、ファッションなどいろんなものがミックスされて、そこから何かが生み出されている街。新しい要素が入り込んでも、いろんなものとつながりながら、一つのソリューションを生み出す方向に行くんです。なので、既視感がなく『おっ、これはおもしろい』と思うものが生まれやすい。これほど他とは違う価値あるものが生まれてきたのは、あらゆる文化が混然一体となった“ミックスカルチャーの街”だからこそでしょう」
今、渋谷駅周辺では百年に一度と言われる一大再開発が行われ、6つのプロジェクトが進行しています。西さんはこの再開発が街に与える影響をどう見ているのでしょうか。
「再開発によって商業施設のキャパシティがぐんと上がるので、渋谷の集客力は大幅にアップします。それによって、周辺の街も恩恵を受け、広域渋谷圏が底上げされるでしょう。また、オフィス空間も一気に増えることで、確実に大人が増えます。若者の街と言われる渋谷のユーザー層が変化していきそうですね」
若者の街として発信を続けてきた渋谷が、近い将来“大人の街”に変わる。そんな可能性を示唆しています。
皇族の宮邸があった宮下町。1964年東京オリンピックが大きな契機に
渋谷キャストが位置する宮下町エリアは、渋谷・原宿・青山、表参道の中心にあります。そのエリアの中でひときわ個性を放っているのが、旧渋谷川遊歩道(キャットストリート)です。ファッション系やデザイン系のショップが集まり、“ストリートカジュアルの聖地”とも呼ばれています。この界隈がどのように発展してきたのか、歴史を紐解いてみましょう。
その昔、旧渋谷川遊歩道の界隈は「穏田」と呼ばれていました。約400年前、徳川家康が伊賀忍者の一族郎党をここに住まわせたことから、忍者の隠れ里として「隠田」となり、いつからか「穏田」という字が使われたことが由来とされています。渋谷川が流れるのどかな農村で、水車を使って精米や製粉をしていました。この水車は葛飾北斎によって描かれた冨嶽三十六景の一つ「隠田の水車」のモチーフになっています。
江戸時代に入ると、穏田から渋谷川の下流に広がる一帯には、起伏に富み高台の多かったことから大屋敷が増えていきます。明治期には、皇族「梨本宮家」の広大な邸宅が2万坪を占めるようになりました。宮下町の名前は、この梨本宮邸の下に位置するということが由来しています。太平洋戦争後、戦災復興の土地区画整理事業によってエリア一帯が大きく整備され、現在の姿に近づいていきます。
この一帯が様変わりしたきっかけは、1964年の東京オリンピック。生活排水で汚染が進んだ渋谷川は暗渠化され、アスファルト舗装の道路となります。近隣に住む子どもたちの公園として利用される一方、通行人が増え始め、次第に通りはにぎわいを増します。遊歩道の渋谷側の入り口付近には、都営住宅「宮下町アパート」が建てられ、1〜3号棟から成るアパートの中央には緑あふれる広場、明治通りに面した3号棟の1階には店舗があり、人の流れをつくっていきました。1982年にはアパートの隣に、50年代のファッションと雑貨を取り扱う「ピンクドラゴン」がオープンし、ロックを愛好する若者から絶大な支持を獲得。1987年頃から実施された区の整備事業によって、今の遊歩道の原形が整いました。
その後はバブルの影響もあり、表参道に有名ブランドショップが次々と出店しますが、旧渋谷川遊歩道には、表参道とは異なり、ストリート感覚の強いショップが集まりました。そして90年代半ばから古着系やインディーズ系を中心とした個性的なショップが集い、裏原宿と呼ばれて流行の発信地になっていきます。その流れは、今もこの一帯で引き継がれています。
「表通りより、旧渋谷川遊歩道と明治通りの間がとてもチャレンジングなエリアなんです。家賃が安い物件も多く、若い人がお店をスタートするのにちょうどいい。そう見ていくと、渋谷と原宿を一体化させた一つのストリームのような感じですね」
それと並行して、表通りには1998年に「パタゴニア」、2000年に「hhstyle.com」(現在は青山に移転)といった感度の高い大型ショップが続々とオープン。渋谷川という自然が生み出した導線の楽しさも相まって、ブランド志向ではなく、若者の個性や感性を重視するエリアとして育っていきました。
「もともとこの通りは渋谷と原宿を結ぶ裏動線でしたが、2006年に表参道ヒルズが開業し、表参道がエリア化したことで、渋谷から表参道にショートカットできる道にもなりました。そんなことも重なって、よりブランド力のあるストリートになっていきましたね」
ストリート感覚×ミックスカルチャーで新しい渋谷の拠点をつくっていく
渋谷キャストが立つのは、渋谷、原宿、青山をつなぐ結節点。この立地について、西さんはこう話します。
「渋谷駅から宮下町方面に歩いて行くと、宮下公園前の交差点まではにぎわいがあり、そこから先は少し静かになる印象があります。そんなところに渋谷キャストという一つのたまりができることで、このエリアの新しい楽しみ方が生まれそうな予感がしています。絶妙な場所だと思いますよ」
クリエイターが集まるだけでなく、まちづくりの拠点として機能することも期待しているそうです。
「クリエイターと地元の人たちとの共同で何かが生まれる可能性も期待したいですね。クリエイティブにまちづくりを掛け合わせたらどうなるのか。そんなハイブリッドな考えが生まれる場になることが、渋谷のど真ん中にあるこの施設の役割なのかなと思います。渋谷のミックスカルチャー×まちづくりの拠点になっていくとおもしろいですね」
“個性を大事にしたストリート感覚”と、渋谷らしさをつくってきた“多様なカルチャーが渦巻く空気感”が、そのまま「渋谷キャスト」に流れ込んでいく。西さんの言葉は、そんな近未来を予感させてくれます。
「クリエイター同士が出会って新しいものを生み出すのはもちろんですが、渋谷に根を下ろして活動している僕たちも、まだ知らないコミュニティの方々とこの場所でたくさん出会いたいですね。渋谷には、いろんなテーマで動いているプロジェクトがたくさんあって、そういう人たちに開かれた場であってほしい。新たな出会いによって生まれるアイデアは、きっと渋谷のためになっていくはずです」
西樹さん シブヤ経済新聞編集長、株式会社花形商品研究所代表取締役 兵庫県尼崎市生まれ。青山学院大学経済学部卒業後、大手PR代理店に入社。1988年株式会社花形商品研究所を設立。各種企業や新商品・サービスのコミュニケーション戦略の立案・代行を多数手がける。2000年4月に広域渋谷圏のビジネス&カルチャーニュースを配信するニュースサイト「シブヤ経済新聞」を開設。国内外で広がりをみせ、「みんなの経済新聞ネットワーク」として全128エリアに拡大中。 |
<参考文献>
・シブヤ経済新聞(2001)『シブヤ系スタイル徹底研究』東急エージェンシー出版部
・上山和雄(2011)『歴史のなかの渋谷 —渋谷から江戸・東京へ—』株式会社雄山閣
・田原裕子(2015)『渋谷らしさの構築』株式会社雄山閣
・渋谷文化プロジェクト『BUNKA × AREA 地域から再発見する渋谷の魅力』
http://www.shibuyabunka.com/area.php?id=1(参照2017/3/20)
・「明治通り宮下地区の歴史」
http://miyashita-park.jp/blog/history/history-3.html(参照2017/3/20)